さいたま市浦和区 =教育の都市=

タウンワークこの街にすみたい街の紹介
浦和区の魅力

浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの一つである。旧浦和市の中央部北側に相当し、区内に旧浦和市の中心市街地を含む。埼玉県庁やさいたま市役所などの行政機関、浦和パルコや伊勢丹浦和店などの商業施設が集積する。
タウンワークこの街にすみたい街の紹介
目次 [非表示]
1 地理
1.1 位置
1.2 地形
1.3 人口構成
2 歴史
2.1 年表
2.2 住宅地として
3 人口
4 地域
4.1 旧町名
5 本社を置く企業
6 主要施設
6.1 行政・司法等
6.2 寺社
6.3 ホテル・商業
6.4 医療・保健
6.5 公共施設
6.6 主な支社・支店
6.7 主な法人
6.8 マスメディア
6.9 公園・運動施設
6.10 学校
7 ギャラリー
8 交通
8.1 鉄道
8.2 バス
8.3 道路
9 旧跡・名物・イベント
10 高層マンション
11 出身者
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
地理[編集]
位置[編集]
浦和区は、埼玉県さいたま市の南部に位置する。
さいたま市が政令指定都市に移行するに当たり、旧浦和市は4つの区に分割され、西部に桜区、中心市街地を含む中央部北側に浦和区、中央部南側に南区、東部に緑区が設置された。中央部北側に位置する浦和区の区域は、おおむね旧浦和町と木崎地区に相当するが、これに加えて六辻地区のうち神明の北側3分の2ほどが浦和区に含まれる。逆に、木崎地区のうち大原6丁目・7丁目は大宮区に含まれる。
地形[編集]

さいたま市浦和区周辺の地形
浦和区は、ほぼ全域が大宮台地(北足立台地)浦和大宮支台の上にあり、北端部のみが芝川低地にかかる。その他、大宮台地の中に藤右衛門川などの中小河川が入り込んでおり、谷底平野もみられる。
人口構成[編集]
浦和区の世帯数は6万6千世帯強、人口は15万人強である。人口密度は1万3千人/km²強でありさいたま市の区で最も高く、埼玉県の市区町村としても蕨市に次ぐ第2位である[1]。 世帯所得水準や学歴水準は高く、2013年(平成25年)時点の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は15.3%[2]、2010年(平成22年)時点における25歳以上人口のうち大卒・院卒者が占める割合は43.4%である[3]。これは、いずれも埼玉県内の市区町村の中で第1位であり、全国の市区町村の中でも年間収入1000万円以上の世帯割合は第13位[4]、25歳以上の大卒・院卒者割合は第15位である。
歴史[編集]
浦和市の項目も参照。
江戸時代以前には調神社や玉蔵院の門前町として栄え、六斎市が開かれた。江戸時代になると中山道浦和宿がおかれ宿場町として発展した。廃藩置県により浦和県の県庁所在地となり、岩槻県、忍県を合併し埼玉県が誕生した後も現在まで県庁所在地となっている。1883年(明治16年)には県内最古の駅の一つとして浦和駅が開業し、1889年(明治22年)の町村制施行により浦和町が誕生した。
1923年(大正12年)に関東大震災が発生すると、直前にすでに耕地整理事業が行われ市街中心部の整備が行われていた当地区では比較的震災の被害が少なかったことや首都東京近傍でかつ大宮台地(北足立台地)上にあるという立地条件もあって東京府などから人口が流入し、後の都市化の礎となった(浦和区#住宅地としても参照)。人口増加に伴い1934年には市制施行し浦和市となる。 また当時「鎌倉文士に浦和画家」と言われたように数多くの文化人が移り住んだことでも知られ、国内屈指の公立進学校である埼玉県立浦和高等学校前身の旧制浦和中学校、埼玉大学前身の埼玉県師範学校(鳳翔閣)や旧制浦和高校、県内最古の女子校である埼玉県立浦和第一女子高等学校などの教育機関が集積し、浦和は「文教都市」の代表格として知られるようになった。現在においても大卒・ホワイトカラー層の居住が多く、常盤中学校を筆頭に公立校が私立進学校と同程度支持されるエリアとなっている。
太平洋戦争期には1945年(昭和20年)4月14日には県庁周辺、5月26日には北浦和駅付近が空襲を受け、計17人の死者[5]、740人の罹災者を出した。これは戦争末期の全国主要都市への空襲の一環であり、軍需工場などの存在しない浦和への攻撃は局所的であった。これが現在も戦前と殆ど変わらない区画の街並みとなっている理由である。常盤や岸町など比較的碁盤の目のように区画が整っているのは、戦後復興によるものではなく、戦前1934年(昭和9年)の耕地整理による区画整理のためである。1941年(昭和16年)には県全域を管轄する浦和連隊区司令部が置かれ、戦後1946年(昭和21年)6月には埼玉会館別館に進駐軍である埼玉軍政部(第79軍政中隊)が置かれた。
戦後も東京都心への通勤の利便性から人口は増え続け、1945年(昭和20年)に9万3,696人だった市人口が1975年(昭和50年)には33万1,145人に膨れ上がった。浦和は県政・文化の中心地であると共に大卒者の比率も高く、都内本社へ通勤する埼玉都民のベットタウン的性質もより濃くなっていった。人口増による業務増加もあり仲町にあった浦和市役所は狭隘化し、1976年(昭和51年)に常盤の埼玉大学跡に移転した。さらに都市改造の一環として1981年には浦和駅西口に再開発ビル(浦和コルソ)が建設、駅前広場が拡張され、現在も県下最大の売上高を計上している伊勢丹浦和店が開店した。それまでは旧中山道や県庁通り沿いが賑わっており十字屋(1984年閉店)などの百貨店や丸井浦和店(1985年閉店)、西友浦和店(1992年閉店)もあったが、徐々に駅前周辺部に買い物客の賑わいがシフトしていった。1999年(平成11年)浦和市役所跡地に浦和ロイヤルパインズホテルが開業、市内初の超高層建築物であった。その後駅周辺にて再開発の機運が高まり、エイペックスタワー浦和(2003年竣工)、コスタ・タワー浦和(2006年竣工)などの超高層ビルが完成した。
2001年(平成13年)に3つの市の合併によりさいたま市が発足、2003年(平成15年)には政令指定都市への移行に伴い市を構成する9区(現在は岩槻区を加え10区)のうちの1つとして浦和区が発足し、現在に至る。浦和区は、埼玉県庁やさいたま市役所の置かれる行政の中枢である。また、近年では浦和駅周辺地区を中心に超高層マンションや商業施設などの再開発や道路整備が進められており、2007年(平成19年)には浦和駅東口に浦和パルコが開店した。また浦和駅西口南地区では27階建ての再開発も計画されており2020年(平成32年)に完成予定である。その上、上野東京ライン開業などにより東京駅や新宿駅への所要時間が25分と利便性が高まったため、マンション開発が活発化している。県庁所在地として繁華街を抱えるが、駅周辺は条例により風俗店などの営業が禁止されている。そのため駅前商業地にあっても比較的治安が良いことで知られ、また落ち着いた雰囲気を維持している。駅からやや離れた国道17号沿いには埼玉りそな銀行をはじめとしてオフィスが建ち並び、そのさらに外周部となる常盤や岸町などは県内の高級住宅地としても知られている。
さいたま市内の住宅地公示地価の上位1位から4位までが浦和区内となっている。
区の色は浦和をホームタウンとするJリーグのクラブ・浦和レッドダイヤモンズのチームカラーに因んだ[6]赤。

浦和レッズがAFCで優勝した際の浦和駅西口

同じく東口、浦和パルコ

浦和駅の東西を結ぶ田島大牧線

調神社

旧中山道沿いの街並み

浦和センチュリーシティ

浦和駒場スタジアム

埼玉県立北浦和公園

仲町平和通り

玉蔵院通り
年表[編集]
1889年(明治22年) - 町村制施行、浦和宿の範囲をもって浦和町発足。
1934年(昭和9年) - 旧浦和市が市制施行。
2001年(平成13年) - 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市発足。
2003年(平成15年) - 政令指定都市移行に伴い、浦和区発足。
詳細は浦和市を参照
住宅地として[編集]
住宅地としての人気は関東大震災以後に高まる。それに先立つ1916年(大正5年)初頭の國民新聞の紙上において東京近郊の理想的な住宅地・別荘地を投票により選定する企画が行われ、浦和町は郊外住宅地部門では9等、別荘地部門では8等に入賞し、良好な郊外住宅地としてすでに認知されていた。具体的な理由も掲載され、東京への近さ、教育環境の充実、下水道整備率の高さなどが挙げられていた。また、鹿島臺(鹿島台・現在の別所沼周辺)の風光明媚さや災害の不安が無いことも記され、当時はまだ畑も多く宅地開発の余地があった鹿島台が住宅地として注目されていたことが分かる。震災直前には鹿島台に官吏や教員向けの町営住宅を建設しており、また大正11年9月には浦和耕地整理事業が着工し、町としても浦和の住宅地・別荘地の期待や住宅不足に対応するため実際に宅地としての開発が本格化していた。
そんな矢先の1923年(大正12年)関東大震災が発生し、浦和は東京や横浜から移住する人で一気に3000人以上の人口増加が起こった。当時の人口は1万2000人程度だったので、25%の増加率であった。とくに前述の鹿島台エリアである別所沼周辺には、富裕層や官僚以外にも画家の移住や画家のアトリエが目立ったため、同じような理由で移住が増えた鎌倉の鎌倉文士という言葉と対になる浦和画家という言葉が生まれた。昭和初期には40人以上の画家が集住し、「さながら絵描き村である」と報道された[7]。その後も現在に至るまで都心から近い閑静な好立地も一因として住宅地の人気を保ち続けている。アトリエの遺構は消えつつあるが、県展の開催される埼玉県立近代美術館やうらわ美術館など美術に関する施設が多く、文教都市としての環境に貢献している。
人口[編集]
浦和区成立後から毎年4月1日の人口。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[8]。
2003年 137,595人
2004年 139,609人
2005年 141,252人
2006年 142,439人
2007年 143,715人
2008年 145,038人
2009年 145,937人
2010年 146,071人
2011年 146,424人
2012年 147,538人
2013年 148,571人
2014年 151,341人
2015年 154,049人
地域[編集]
[表示]
表・話・編・歴
Flag of Saitama, Saitama.svg■さいたま市浦和区の町・字
北浦和、高砂、常盤、針ヶ谷、前地、本太は住居表示実施前にはすべて「町」がついた。
市では文教都市や宿場町として長い歴史を持つ区内の文化財や観光スポットなどが一目でわかる「浦和区文化の小径マップ」を地区ごとに作成し、無料で配布している。「中山道浦和宿を歩く」、「北浦和界隈を歩く」、「浦和駅東口から本太界隈を歩く」、「上木崎界隈から見沼を歩く」、「前地・岸町界隈を歩く」、「常盤・仲町界隈を歩く」、「大東から駒場を歩く」の7地区が発行されている[9]。
旧町名[編集]
中山道浦和宿時代には北から「上町」、「仲町」、「下町」といった。 明治に入ってから岸村も合併により浦和宿となり、上町、仲町、下町、岸村はそれぞれ「常盤区」、「仲区」、「高砂区」、「岸区」と改称された。地区内部にはこのような町名が存在した。
常盤区(→常盤町→現常盤1~10丁目)
本石町
林町
矢頭町
桜町
清ヶ谷町
本石町は丁目で細分化された。
仲区(→現仲町1~4丁目、東仲町)
仲町
春日町
初音町
有楽町
弥生町
久保町
永住町
見晴町
仲町は丁目で細分化された。
高砂区(→高砂町→現高砂1~4丁目、東高砂町)
日出町
本町
行幸町
鹿島町
富士見町
日出町、本町、鹿島町は丁目で細分化された。
岸区(→現岸町1~7丁目、東岸町)
これらの町名は昭和初期の地図には確認できるが現在ではほとんど使われることはない。 NTTの電信柱に設置された管理プレートには「林町」、「弥生」、「本町」、「旭町」といった表示があり、電線の名称としては現在も残っているようである。また「日の出通り」という道路名としても旧町名が確認できる。 同様に現存しないが、稲荷丸や鯛ヶ窪といった小字(以下参照)も昭和9年の耕地整理前まで存在した。耕地整理後に現在の整然とした区画が生まれ、現在の町名の原型となる区割りが設定された(常盤町~丁目、北浦和町~丁目など)。仲町や高砂の西部の住宅街は通称鹿島台と呼ばれた。
小字
岸分宿、尺地、天神面、第六天前、竹之下、塚之越、窪堤、東裏、八田州、芝道通、中道通、中原・中之原、三本木、房ノ妻、一里塚、本太境、御殿尻、中向原、新山道、家頭、西川原、寺屋敷、清ヶ谷、鹿島後、下西向原、大ヶ窪南台、子ノ神、苗木原、下向原、本宿、一ノ窪、寺之下、岸之下、稲荷丸
本社を置く企業[編集]

埼玉りそな銀行本部
企業集積拠点としてテクノシティ浦和がある。
埼玉りそな銀行本部、(旧埼玉銀行本店)
NTT東日本-関信越
テレビ埼玉
AGS
LIXILビバ
エフエム浦和
ジェイコムさいたま
日産ライトトラック
りそな総合研究所
りそな保証
日新火災海上保険
須原屋
国大セミナー
埼玉県住宅供給公社
埼玉県道路公社
ユーディケー
尾張屋
関東自動車
Category:浦和区の企業も参照。
主要施設[編集]
行政・司法等[編集]

埼玉県警察本部
埼玉県庁
埼玉県議会
埼玉県教育委員会
埼玉県選挙管理委員会
埼玉県公安委員会
埼玉県企業局
埼玉県危機管理防災センター
埼玉県知事公館
埼玉県浦和合同庁舎
埼玉県警察本部
さいたま市警察部 - 埼玉県警のさいたま市方面本部である。
浦和警察署 - 上木崎一丁目は浦和西警察署の管轄。
県営競技事務所
埼玉県労働相談センター

さいたま市役所
さいたま市役所
さいたま市議会
さいたま市教育委員会
浦和区役所
さいたま市立教育研究所
さいたま市消防局本部
浦和消防署
日の出出張所
木崎出張所
さいたま市水道局
南部水道営業所
裁判所
さいたま地方裁判所
さいたま家庭裁判所
さいたま簡易裁判所

さいたま地裁・地検
防衛省
浦和地方合同庁舎
自衛隊埼玉地方協力本部
法務省
さいたま地方検察庁
さいたま区検察庁
さいたま地方法務局浦和公証センター
さいたま公安調査事務所
財務省
東京税関埼玉方面事務所
厚生労働省
関東信越厚生局指導監査課(朝日生命浦和ビル)
ハローワーク浦和(浦和公共職業安定所)
農林水産省
関東農政局さいたま庁舎(消費・安全部 地域第1課)
警察庁
関東管区警察局埼玉県情報通信部
日本年金機構
北関東・信越ブロック本部
浦和年金事務所
独立行政法人
自動車事故対策機構埼玉支所
政党支部
自由民主党埼玉県支部連合会
民主党埼玉県総支部連合会
社会民主党埼玉県連合
公明党埼玉県本部
寺社[編集]
調神社
玉蔵院
大善院
本太氷川神社
蓮昌寺
成就院
ホテル・商業[編集]
ホテルメッツ浦和
浦和ロイヤルパインズホテル
浦和ワシントンホテル
伊勢丹浦和店
浦和コルソ
浦和パルコ
ビバモールさいたま新都心店
イトーヨーカドー浦和店
クイーンズ伊勢丹北浦和店
須原屋書店(本店・コルソ店)
レッドボルテージ(浦和レッズのオフィシャルショップ)
エイペックスタワー浦和
コスタ・タワー浦和
シティハウス浦和高砂
医療・保健[編集]
埼玉県県民健康センター
埼玉県医師会
埼玉県医師信用組合
埼玉県薬剤師会
埼玉県歯科医師会
埼玉県歯科技工士会
浦和医師会
浦和歯科医師会
さいたま市薬剤師会
日本赤十字社埼玉県支部
地域医療機能推進機構埼玉メディカルセンター
彩の国すこやかプラザ
公共施設[編集]
埼玉県立近代美術館
さいたま市立中央図書館 / 北浦和図書館
さいたま市立教育研究所
さいたま商工会議所
埼玉県立文書館
埼玉県立図書館浦和分室
埼玉会館
うらわ美術館
さいたま市青少年宇宙科学館
国際交流基金 日本語国際センター
労働者健康福祉機構 埼玉産業保健推進センター
埼玉県障害者交流センター
さいたま市民会館うらわ(旧浦和市民会館)
浦和岸町コミュニティセンター
浦和ふれあい館
よみうりカルチャー浦和
埼玉教育会館
埼玉私学会館
埼玉建設会館
さいたま共済会館
全電通埼玉会館
主な支社・支店[編集]
東京電力埼玉支店
日本信号北関東支店
戸田建設関東支店
大成建設埼玉営業所
奥村組北関東支店
鴻池組さいたま営業所
錢高組北関東支店
西松建設さいたま営業所
五洋建設関東営業所
積水ハウス埼玉南支店
アクサ生命埼玉支社
朝日生命さいたま支社浦和営業部
日本広告社埼玉支社
綜合警備保障埼玉南支社
セコム浦和支社
大成有楽不動産販売 浦和営業所
大京穴吹不動産埼玉事業所
主な法人[編集]
主な法人本部・支部。
日本野鳥の会埼玉県支部
日本産業カウンセラー協会 北関東支部
新日本婦人の会埼玉県本部
不動産保証協会埼玉県本部
建設業技術者センター 埼玉県支部
自治労埼玉県本部
埼玉県社会福祉協議会
埼玉県行政書士会
埼玉司法書士会
埼玉弁護士会
埼玉県銀行協会
埼玉県バス協会
埼玉県労働協会
埼玉県栄養士会
埼玉県調理師会
埼玉県LPガス協会
埼玉県ダンプカー協会
埼玉県タクシー協会
埼玉県高圧ガス会
埼玉県民謡協会
埼玉県食品衛生協会
埼玉県木材協会
埼玉県合唱連盟
埼玉県トラック協会 浦和支部
埼玉土地家屋調査士会
埼玉県社会保険労務士会
埼玉県医師国民健康保険組合
埼玉県信用農業協同組合連合会
埼玉県森林組合連合会
企業厚済会埼玉県支部
教職員共済埼玉県支部
日本教育公務員弘済会埼玉支部
関東信越税理士会浦和支部
日本防災通信協会 埼玉県支部
埼玉県宅地建物取引業協会 本部
NTT労働組合北関東総支部
さいたま住宅検査センター本部
マスメディア[編集]
NHKさいたま放送局
テレビ埼玉
エフエム浦和
テレビ朝日さいたま支局
朝日新聞社さいたま支局
読売新聞社さいたま支局
日本経済新聞社さいたま支局
東京新聞社さいたま支局
毎日新聞社さいたま支局
産経新聞社さいたま総局
日本工業新聞社さいたま支局
日刊工業新聞社さいたま支局
時事通信社さいたま支局
共同通信社さいたま支局
公園・運動施設[編集]
さいたま市駒場スタジアム
浦和駒場体育館
浦和総合運動場
市営浦和球場
大原サッカー場 - 浦和レッズの練習場
埼玉県立北浦和公園
浦和北公園
浦和中央公園
常盤公園
駒場運動公園
学校[編集]

県立浦和高校
高等学校
埼玉県立浦和高等学校
埼玉県立浦和第一女子高等学校
埼玉県立浦和西高等学校
さいたま市立浦和高等学校
浦和麗明高等学校
ウィッツ青山学園高等学校埼玉LETSキャンパス
中学校
さいたま市立浦和中学校
さいたま市立常盤中学校
さいたま市立木崎中学校
さいたま市立本太中学校
さいたま市立大原中学校
小学校
さいたま市立高砂小学校
さいたま市立常盤小学校
さいたま市立常盤北小学校
さいたま市立木崎小学校
さいたま市立仲本小学校
さいたま市立本太小学校
さいたま市立仲町小学校
さいたま市立上木崎小学校
さいたま市立岸町小学校
さいたま市立針ヶ谷小学校
さいたま市立大東小学校
さいたま市立北浦和小学校
埼玉大学教育学部附属小学校(国立)
ギャラリー[編集]

埼玉県庁

玉蔵院

埼玉メディカルセンター

さいたま市青少年宇宙科学館

埼玉県立文書館

レッドボルテージ

市営浦和球場

テレビ埼玉

NHKさいたま放送局

NTT東日本-関信越本社
交通[編集]

浦和駅

新浦和橋
鉄道[編集]
東北本線(宇都宮線)・高崎線・湘南新宿ライン・上野東京ライン
浦和駅
京浜東北線
浦和駅
北浦和駅
与野駅
バス[編集]
国際興業
東急系の中仙道乗合自動車が中山道を中心に運行。一方、京王電軌系の鳩ヶ谷自動車が鳩ヶ谷~浦和~志木間を中心に運行していたが、1944年に京王電軌から東急系になった東都乗合自動車が統合。
1946年東都乗合自動車は国際興業に買収され、1951年に国際興業に吸収合併。区内の大部分を運行する。
東武バスウエスト
大宮からの乗り入れ路線。東武鉄道から承継。
西武バス
元々は浦和駅東側を運行していた東浦自動車が母体。
1946年に国土計画興業(現・プリンスホテル)・西武鉄道関連のバス事業を統合して西武自動車(現・西武バス)が成立。
現在は北浦和駅発着路線のみ。
道路[編集]
一般国道
国道17号(中山道)
国道463号(越谷街道・旧中山道・県庁通り・中山道・埼大通り)
越谷浦和BP
県道
主要地方道
県道1号さいたま川口線(第二産業道路)
県道34号さいたま草加線(県庁通り・日の出通り)
県道35号川口上尾線(産業道路)
埼玉県道40号さいたま東村山線(志木街道)
県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)
BP
県道65号さいたま幸手線(旧中山道・浦高通り)
一般県道
県道118号北浦和停車場線
県道120号上木崎停車場線(西高通り)
県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒川サイクリング道路) - 区内は国道463号(埼大通り)と並行し、「自転車が通行可能な歩道」となっている。
県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)
県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
県道213号曲本さいたま線(旧中山道)
都市計画道路
田島大牧線 - 区内の一部区間は「日の出通り」と呼ばれ、その区間の一部は県道34号さいたま草加線と重複。
町谷本太線(市役所通り・越谷街道) - 越谷街道の区間は国道463号と重複。
道場三室線 - 区内では国道17号(中山道)の西側は県道57号さいたま鴻巣線BP、東側は国道463号越谷浦和BPと重複。
高砂仲町線
橋梁
浦和橋 - 県道65号さいたま幸手線(旧中山道)
新浦和橋 - 国道463号越谷浦和BP・道場三室線
新都心大橋 - 県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)
大原陸橋
旧跡・名物・イベント[編集]
旧跡
浦和宿本陣跡
浦和宿石橋と供養仏
浦和宿二・七市場跡
名物
鰻の蒲焼が古くから名物で老舗が多い。江戸時代には、大根の産地としても知られていた(浦和大根)。
イベント
浦和うなぎまつり(5月、市役所前で開催)
浦和まつり(7月、浦和駅・南浦和駅周辺で開催)
さいたま市国際ふれあいフェア(浦和パルコ前で開催)
さいたま国際マラソン(11月、北浦和駅周辺・国道463号などで開催)
十二日まち(12月、調神社・旧中山道で開催)
さいたまトリエンナーレ(2016年より開催予定、仲町にさいたまアートステーションを設置)
高層マンション[編集]
区内には10階建て以上の高層マンションが265棟(2014年現在)あり、さいたま市内で最も高層マンションが多い区となっている。その内訳は浦和駅周辺に103棟(うち西口に83棟)、武蔵浦和駅周辺に72棟(うち白幡に24棟)、北浦和駅周辺に47棟(うち西口に25棟)、南浦和駅周辺に30棟、与野駅周辺に13棟となっている。
出身者[編集]
浦和市#浦和市出身の著名人を参照。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 人口は2015年(平成27年)5月1日時点の推計人口、面積は2014年(平成26年)の全国都道府県市区町村面積調による。
^ 2013年(平成25年)住宅・土地統計調査による。分母からは収入階層不明の世帯を除く。
^ 2010年(平成22年)国勢調査による。分母からは最終卒業学校不明、及び在学者を除く。
^ 但し、住宅・土地統計調査の表章対象外となる人口1万5千人未満の町村を除く順位
^ 戦災概況図浦和による。
^ さいたま市公式サイト「区の色・ロゴマークの使用について」
^ 東京日日新聞 昭和6年8月18日付
^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)
^ [浦和区文化の小径マップ]
関連項目[編集]
浦和の調ちゃん - 浦和地区を舞台としたアニメ作品。
おおきく振りかぶって - 浦和西高校がモデルとなっている作品。
エースをねらえ! - 浦和西高校がモデルとなっている作品。
外部リンク[編集]
さいたま市浦和区役所 公式サイト
旧町名が確認できる地図


■ さいたま市浦和区暮らしのガイド
◎出生 ◎子育て◎結婚・離婚◎引っ越し◎介護・葬儀
◎産業観光◎福祉のひろば◎保健所◎まちづくり・住まい◎学校・教育◎図書館
■ さいたま市浦和区暮らしのガイド
◎相談窓口◎届け出・登録・照明◎家庭のごみ・リサイクル◎税金◎国民健康保険
◎後期高齢者医療制度◎国民年金◎しものときには◎地域での活動・ボランティア・国際交流
■ さいたま市浦和区放射線量等の測定
・ 放射線量等の測定結果
・ 給食の放射性物質測定の測定結果
■ 区の紹介
■ 区政データ
■ さいたま市浦和区施設案内
◎さいたま市浦和区マップ◎バリアフリーマップ◎赤ちゃん休憩スポット◎さいたま市浦和区総合体育館
■ いざという時に
◎休日・救急診療◎家庭◎地域の防災対策◎暮らしの安全・安心
■さいたま市浦和区ハザードマップ
引用:さいたま市浦和区公式ホームページ  
ウィキペディア「さいたま市浦和区」参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/浦和区
2015.8.19